入れ歯と博士号
よく患者さんから「先生は大学院を出てるんですか?」という質問をいただきます。
「どんな事で博士号を取ったか、お話しましょうか?」と言うと、「私が聞いても分かりますかね。」と言われるので、「じゃあ、虫歯がなぜ治らないのかお話しましょうか?」という話をきっかけに興味をもってもらうようにしています。
大学院で勉強したことは、役に立たないとよく言われますが、それは博士号目的に大学院に行った人の話で、私の場合は大いに役に立っています。今の私の歯科治療の基礎を支えているものなので、今でも大いに活用しています。
先ほどの虫歯の答えは、
「虫歯になっても歯が自然に治ることがないのは、歯には歯を修復するための細胞がないからなのです。詳しく言うと、歯の表面の白い部分、エナメル質と言われる部分に細胞がないからなのです。なぜないのかと言えば、骨などの硬い物でもかむということを宿命づけられた組織だからです。体の中で最も硬い部品を作るためには細胞は邪魔なのです。細胞はかむ力をかけたら潰れて死んでしまいます。こんなものが中に入っていると、強度が劣るのです。本当は髪の毛、皮膚、爪などと同じように再生すればいいのですが、そうすると人はその再生装置をあごに内蔵しないといけないため、サメのように頭が大きくなり、陸上生活や直立歩行、脳を発達させることが難しくなったのではないかと思います。」ということです。
下線部分は教科書や文献には載っていないところですが、こういった見解を捕捉できることが、大学院で学んだことではないかと思います。単に文献や論文の説明をしても解説者の見解がそこに加わらなければ、本当に分かって説明している事にはならないでしょう。いろいろな知識の引き出しを持っていなければ、自分で意見を組み立てることはかなり困難です。この引き出しが多い人ほど、多角的に物事を考えることができます。
私は入れ歯科(補綴科)出身の歯科医師ではありませんので、いわゆる型通りの入れ歯の専門家ではありません。その分違った視点で患者さんをとらえています。実際に入れ歯を作る際には、患者さんは個人個人全く違う個体ですので、平均値は知っておく必要があっても、全く違う入れ歯を一つ一つ作る可能性が高いと考えています。
「この部分の歯がない人はこういう入れ歯が適している」という具合に、一問一答で答えが出てきそうなイメージですが、個体というのは、本当は生命科学においてはあいまいで、どれ一つとして同じであることはありません。親子であってもあごの形は違います。同じ動きは決してしませんし、本人であってもいつも同じ動きができるとは限りません。
患者さんだけでなく、私自身も体調の良い日に型どりをするとか、実はささいな事が大きく関係しているのが、本当の科学なのです。晴れた日と雨の日では、材料のコンディションが違います。また同じ人が右手で治療するのと、左手で治療するのとでは結果が違うのです。細かく気がつくことが、品質を安定させ、原因を分かりやすくします。
型どりが「完璧」などということは私としてはあり得ない話です。自分自身の治療であっても、ケチをつけようと思えばいくらでもあります。だからこそ少しでも良い治療を謙虚に目指すべきではないかと思います。
入れ歯が合わない理由は挙げればいたるところにあるのです。それに気がつくために大学院で勉強してきたという感じです。博士号が良い入れ歯を作るわけではありません。しかし博士号を持つ私の作る入れ歯は、その製作過程に、教科書や文献には載っていない、細かい気づかいがいたるところに入っているのです。
知って得する!入れ歯の話